農林水産省では農林水産物・食品の輸出額を平成31年(2019年)までに1兆円規模まで拡大する目標などを掲げるなど、輸出促進の方針を打ち出しています(平成23年の輸出実績は4511億円、平成27年は約7451億円)。そうした状況下、急速な発展を遂げている東南アジア(ベトナム、タイ、フィリピン)の食品業界の動向は、日本の食品企業にとって大きな関心事となっています。
そこで、東南アジアで食品衛生セミナーや食品工場の衛生指導などの経験がある東京海洋大学の木村凡教授に、各国の衛生管理の現場で感じたことを伺いました。東南アジアの現状から、食品流通のグローバル化やHACCP制度化などへの対応を迫られている日本の食品業界が直面している課題が見えてきました。
〔ベトナム〕
――まずはベトナムを訪問された時のことを教えてください。
ベトナムで訪問した工場は、日本への輸出だけではなく、北米や欧州への輸出も前提に建てられたもので、非常に近代的な印象を受けました。最初から輸出を考慮しているので、海外のHACCPに関する規制にも対応できていました。海外の先進的な工場の事例なども参考にして、まったくの“ゼロベース”から立ち上げた工場で、「海外からの要求に柔軟に対応できる、グローバル対応ができる工場」という印象を受けました。
一方で「そもそものビジネスモデルが日本と違う」ということも感じました。日本では無人化や省力化が進んでいる食品工場も珍しくありませんが、ベトナムの工場では(人件費が高くないことも影響していると思いますが)非常に多くの作業者が働いており、「海外が求める品質を人海戦術によって維持している」という印象を受けました。ただし、将来的に国が発展して人件費も高くなってきたら、こうした人海戦術は難しくなってくると思います。そうなった時には、ベトナムの工場も無人化・省力化が進んでいくのではないでしょうか。
〔タイ〕
――タイを訪問した時のことを教えてください。
タイで訪問した工場も対米・対欧州に輸出するために衛生管理を徹底していましたが、特に印象的だったのは「リステリア対策(リステリア・モノサイトゲネス対策)に非常に力を入れている」という点でした。日本の水産練り製品ではリステリアの基準はありませんが、対米・対欧州にRTE食品(ready to eat、そのまま喫食する食品)を輸出する際には、リステリア対策は避けては通れない、必須の課題です。この工場のマネージャーは「製品からリステリアが検出されたことはない。今は環境からの排除を目指している」と話していました。その方針の下、「水産練り製品でここまでの衛生管理は必要なのか?」と思うくらい、工場の至るところで洗浄を徹底していました。
――リステリア食中毒やリステリア対策に対する認識は、日本と欧米では大きな違いが見られます。
日本ではリステリアによる食中毒のアウトブレイクは平成13年に北海道で発生した1例(原因食品はナチュラルチーズ)だけですが、「食中毒が起きていないのではなく、食中毒の原因菌として特定されていないだけ」と考えるべきでしょう。実際、リステリアによる食品汚染は欧米と変わらないレベルで起きていますし、感染症の患者も多数報告されています。
リステリア対策については「今やグローバルな問題になっている」という状況を認識しておく必要があります。そうしなければ、もしかしたら近い将来、「日本ではRTE食品のリステリア対策がとられていない。日本よりもタイから輸入した方が安全だ」と考える国が出てくるかもしれません。
――現地の工場で衛生指導もされましたが、課題や問題点として気づいた点はありましたか。
タイの工場では、工場全体でリステリア対策を徹底している一方、「最終製品が入ったカゴが、床からの水跳ねの可能性がある高さに置かれている」「最終製品の入ったカゴを持つ人の手袋が工場の各所に不注意に触れている」といったように、「二次汚染が起きる可能性があることまで考えられているだろうか?」と思う場面がありました。「なぜこのタイミングで手洗いや着替えをするのか?」といったような、一つひとつの作業やマニュアルの「本当の意味」までは十分に伝わっておらず、「マニュアルで決められているから、その通りに作業をしている」という雰囲気があるように感じました。
衛生管理で大事なことは「微生物の二次汚染がどこで起こる可能性があり、いかにその可能性を防除するか?」「その二次汚染が、最終製品にどのような影響をもたらすか?」をきちんと理解することです。「実際に起こり得るリアルなリスク」を防除するマニュアルを作成し、そのマニュアルの意図を浸透させる教育が大切です。細かな作業までマニュアル化することは否定しませんが、「自分たちの作業にどのような意味があるのか?」ということを理解していなければ、製品に重大な影響を及ぼす二次汚染を見逃してしまうかもしれません。このことはHACCPが制度化される日本の食品施設にも共通して言えることではないでしょうか。
木村教授による各国でのセミナーの様子(左からベトナム、タイ、フィリピン)。
セミナーの他、水産加工施設の視察、木村教授による工場の衛生指導なども行われました。
〔フィリピン〕
――フィリピンを訪問した時のことを教えてください。
印象に残ったのは大腸菌群の取扱いに関する話題ですね。日本では、生食用の冷凍魚介類については大腸菌群の基準が設けられていますが、欧州では(大腸菌群ではなく)大腸菌の基準が設けられています。一般的に「大腸菌群は人に由来する糞便汚染の指標」といわれてきましたが、ここ20~30年で大腸菌群が自然界に存在する菌であることは明らかになっています。この工場の関係者は「大腸菌が検出されることはないが、大腸菌群が検出されるかどうかは運次第だ」と話していました。日本もこの現状も踏まえて見直す必要があるのではないでしょうか。
サルモネラ属菌についても同様のことが言えます。日本では水産加工品に関するサルモネラ属菌の基準はありませんが、米国や欧州では「水産加工品にはサルモネラ属菌のリスクがある」というのは一般的な認識です。日本国内で水揚げして加工・流通・消費する水産物であれば、サルモネラ属菌の問題はないかもしれません。しかし、海外から輸入する水産物の中には、サルモネラ属菌の汚染の可能性がある生け簀などで養殖されている場合もあります。日本では「サルモネラ属菌は鶏や卵の問題」という認識が一般的かと思いますが、それは国際的な認識でいえば遅れています。国際的な考え方との整合性を図っていく必要性があるでしょう。
――東南アジアの工場では、対米・対欧州の輸出に対応した検査体制も構築されているようです。そうした施設を見ると、どうしても「日本の試験法」と「世界の試験法」の違いもありそうですが、いかがお考えですか?
日本の試験法は長い時間をかけて築き上げてきた経緯があるので、いきなり抜本的に改定するのは現実的には難しいと思います。「国際的な動向も踏まえながら、少しずつ部分的に改定していく」というやり方になるのも、やむを得ないことでしょう。しかしながら、「日本と世界の試験法に違いがある」という認識は持っておかなければ、将来、「日本の試験法に対応できなくても(日本に輸出できなくても)、米国や欧州に輸出すれば問題ない」と考える国が出てくるかもしれません。
また、欧州では最終製品の微生物基準だけでなく、process hygiene criteria(工程衛生規格)※が設けられている食品もあります。日本では食品の規格基準にprocess hygiene criteriaの考え方はありませんが、欧州へ輸出する工場では対応しなければなりません。そうした違いについては把握しておく必要があると思います。
――セミナーでは「日本の検査法に関する情報は、どこで得られるのか?」という質問もありましたが。
日本の検査法に関する情報は、意外と入手しにくいのが実態のようです。例えば食品衛生検査指針の英語版も出ていないので、各企業が取引先から教えてもらっているのが現状のようです。しかし、その取引先の担当者が、試験法とその他の検査法の関係性などをきちんと理解していない場合もあるようです。検査法に関して議論するための基盤を共有する必要があると感じました。
――日本ではHACCP制度化の動きがありますが、食品安全や食品衛生の考え方について国際的な整合性を図ることは、今後の日本の課題の一つかと思われます。
先ほど話した水産物の大腸菌群やサルモネラ属菌の基準に関する議論については、海外との整合性を検討する必要があるでしょう。一方で、必ずしも海外に合わせることだけが正しいわけでもありません。例えば、米国や欧州では腸炎ビブリオ食中毒は増えていますが、日本では平成13年に規格基準を見直した頃から、食中毒は顕著に減少し、最近ではほとんど起きていません。「腸炎ビブリオの対策は日本を参考にしてはどうですか?」と言ってよいのかもしれません。
日本の規格基準や試験法などに関しては、国際的な整合性がとれていないものもありますが、それらを抜本的に変えるのが難しい状況であることも理解できます。しかし、もし日本が今後、食品の輸出を促進していくのであれば、欧米の基準や試験法に合わせていく議論は進めていかなければなりません。日本の食品衛生の分野がこれまで積み上げてきた文化や考え方を活かしながら、良い要素は残す、変えるべき要素は柔軟に変えていく、という対応ができればよいと思います。
――ありがとうございました。
【用語解説】 Process Hygiene Criteria(工程衛生規格)
欧州では欧州規則 No. 2073/2005によって、次の2種類の微生物規格が設定されています。
(1)食品安全規格(Food safety criterion):
■市場に流通する食品製品/バッチの許容可能性を決める(措置:回収)。
■対象微生物:Listeria monocytogenes、Salmonella、Staphylococcal enterotoxins、Enterobacter sakazakii(Histamines)
(2)工程衛生規格(Process hygiene criterion)
■市場にある製品ではなく、製品の工程が許容できる機能であることを示す。工程に適用される。
■その数値以上の場合には、食品法を遵守している工程の衛生を維持するため、改善措置が必要とされる。
■汚染を示唆する数値を設定する。
■対象微生物:Enterobacteriaceae、E. coli、Coagulasepositive Staphylococci、生菌数
〔参照文献〕
1) General Guidance for Food Business Operators EC Regulation No. 2073/2005 on Microbiological Criteria for Foodstuffs / FOOD STANDARDS AGENCY
2) グローバル化と食品微生物規格の考え方(Microbiological Criteria Related to Food in the Context of Globalization of the Food Safety Management System)、豊福肇先生(山口大学共同獣医学部)、日本食品微生物学会雑誌(Jpn. J. Food Microbiol)、32(2)、124-130、2015