HACCPの制度化に向けた施策の推進、「食品衛生検査指針(微生物編)」(2015年)の改訂など、近年、食品衛生の分野では国際的な「整合性」「標準化」が重要なキーワードになっています。
こうした一連の変化に的確に対応するためには、「なぜ国際標準化が求められているのか?」を理解しておくことが必要です。そこで全3回にわたり、食品衛生分野における国際標準化に関する様々な動向で中心的役割を担っている東京農業大学の五十君靜信教授に、HACCP制度化に至った背景や、食品の微生物試験の国際的な動向などについてうかがいました。
五十君教授は、「食品からの微生物標準試験法検討委員会」の標準法検討委員会の委員長、2015年に改訂版が刊行された「食品衛生検査指針(微生物編)」の編集委員長、厚生労働省が2016年に設置した「食品衛生管理の国際標準化に関する検討会」の座長を務めるなど、日本国内のHACCP制度化、微生物試験法の国際標準化などに大きな役割を果たしています。
――日本国内におけるHACCP制度化、食品の微生物試験法の国際標準化などの動向に、食品企業が適切に対応するには、こうした変化の背景について正しく把握しておく必要があると考えます。そもそも国際的な視点で見た時、食品分野における「最大のリスク」とは何でしょうか。
日本をはじめとする先進国ではなかなか実感しにくいですが、世界規模で考えた時、食品の最大のリスクは「十分な食糧が供給されないこと」です。日本では人口減少が続いていますが、世界人口は爆発的に増加しています。そうした状況下、いかにして必要量の食糧を確保するかは、世界共通の検討課題となっています。
日本もカロリーベースの自給率が4割程度ですから、食糧の供給は輸入に頼らざるを得ない状況ですが、「食糧がなくて生きていけない」という危機的な状況ではありません。世界の多くの国が、日本とまったく違う状況にあることは理解しておくべきでしょう。
――食品流通について議論する国際的な組織として、FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)が共同で設立したコーデックス委員会(Codex Alimentarius Commission)があります。
コーデックス委員会の目的は、大きく2つ挙げられます。それは、世界共通の食品の基準を設定することによって「消費者の健康保護」と「自由貿易の推進」を図ることであり、後者の目的には先ほど述べた「世界の食糧供給を途絶えさせない」という考え方があります。つまり、食品の流通が止まって食糧確保が途絶えるというリスクが生じないよう、自由貿易を促進するために食品衛生の国際標準化が求められています。
コーデックスの基準に拘束力はありませんが、WTO(世界貿易機関)の協定の中に食品の微生物基準についてはコーデックス基準を国際的なスタンダードとすることが定められています。各国が独自に設けた基準がコーデックス基準に従っていない場合、貿易相手国から非関税障壁としてWTOに提訴される可能性があります。(コーデックス基準は)国際社会で適用される基準ですから、科学的な根拠、あるいは手法に基づいて設定されています。科学的でない基準は、世界のスタンダードとして受け入れてもらえるはずがありません。
――実際に食品企業が科学的根拠に基づいた微生物管理を行うには、どのような点に留意すればよいでしょうか?
民間の食品企業が食品衛生に関する科学的な知見(最新の研究成果など)を得るのは、膨大な数の文献を紐解く必要があり、なかなか難しいと思います。民間企業(特にマネジメント層)の方は、行政をはじめとする専門家集団が整理・公表している科学情報に耳を傾けることをお勧めします。また、FAOやWHOなどの専門家会議、学術団体、科学を基礎とする国際組織などが発表する文献や報告書などもフォローしておくとよいでしょう。
――国によってはコーデックスの基準に従っていない、独自の基準が設定される場合もあります。
例えば、国や地域に独特な食文化も存在するので、そうした場合はコーデックス基準から逸脱した独自の基準が設定されることもあります。そのような状況を考慮して、コーデックス委員会は2007年に「各国が独自に食品の微生物基準を設定する際には、数的指標の考え方を取り入れましょう」という指針(CAC/GL 63-2007)※を公表しました(別項参照)。今後、各国が食品の微生物学的な基準(MC、Microbiological Criteria)を設定する場合は、この指針で示される手順で行うことが求められます。
日本では2011年に、この指針に基づいて生食肉の微生物(腸内細菌科菌群)の基準を設けました。しかし、この指針に基づいて独自の基準を設定することは、実際には非常に多くの時間や手間のかかる作業です。そうしたことを考慮に入れると、固有の食文化を守るため以外は「原則は国際標準であるコーデックスの基準を用いる方がよい」という結論になるのではないでしょうか。
※ Principles and Guidelines for the Conduct of Microbiological Risk Management and its annex on Guidance on Microbiological Risk Management Metrics.
コーデックス委員会では、食品の微生物管理に関する基準は、数的指標(Metrics)の考え方を取り入れて設定することを求めています。数的指標には、上図のようにFSO、PO、PCなどがありますが、これらの目標値(基準)はフードチェーン全体を視野に入れて設定する必要があります。そして、最近では、フードチェーンを通した各段階で工程管理(HACCP)の考え方を取り入れることが前提条件であることが「世界の共通認識」となりつつあります。
また、コーデックス委員会では、FSOは公衆衛生上適切な保護の水準(ALOP、Appropriate Level of Protection)と関連づけて設定することを求めています。ALOPとは、適切な保護の水準で、例えば「単位人口当たりの年間の疾病の発症数」などで表現される数値です。ALOPは、各国が独自に設定することができますが、その値は輸入食品に対しても適用されます。そのため、輸入国は輸出国からの照会に対し、自国のALOP の設定根拠を十分に説明できなければなりません。このALOPに従って、FSOやPO、PCが設定されます。
――別項では、「数的指標の考え方を取り入れるには、フードチェーンを一貫した衛生管理の考え方が必要」ということがわかります。
コーデックスの数的指標の考え方には、その前提として「工程管理」の考え方があります。言い換えれば、「工程管理が行われていなければ、数的指標に関わる議論はできない」といってよいくらいで、これが世界の共通認識となっています。
一方で、日本には生食という独特の食文化があります。例えば、刺身などでは「最終製品の微生物数」が重視されており、あまり「工程管理」の考え方は重視されてきませんでした。そうした背景から、日本は「工程管理が重要」という考え方の浸透が遅れてしまったように思います。
しかし、今は食品が世界規模で流通する時代です。今後、日本も工程管理という考え方(すなわちHACCPの考え方)を前提としなければ、世界の議論から立ち遅れてしまいます。そうした状況にならないためには、日本でも「工程管理が重要」という考え方を定着させることが急務であり、そのためにHACCPを制度化するという方向性が打ち出されたわけです。
しかしながら、日本では依然として多くの食品企業が「最終製品の微生物検査が大事」という考え方を持っていますし、一般消費者も「最終製品の検査結果がわかると安全な気がする」という心理から脱却できていません。まずは、こうした固定観念を(HACCPの制度化という施策を通して)根本から変えていく必要があります。もちろん、行政の監視・指導の考え方も根本から変えていく必要があります。
(第2回に続く)
(第1回) 最終製品の抜き取り検査から、「工程管理の検証の検査」を重視する時代へ
~微生物基準の設定は工程管理が“前提条件”、ゆえにHACCP制度化は不可避~2017.11.21
(第2回) 工程管理(HACCP)の検証の検査では 「目的にあった試験法」 を選択する
~バリデーションされた簡便・迅速な代替試験法は有効な選択肢~2017.11.28
(第3回) HACCP制度化が 「衛生指標菌の考え方」 に変化をもたらす可能性も
~「バリデーションされた病原微生物の試験」 でHACCP管理に理論武装を~2017.12.5