• 三澤尚明先生

    三澤尚明先生略歴
    1981年 宮崎大学農学部獣医学科卒業、1983年 大阪府立大学修士課程修了、同年より東京農工大学獣医微生物学講座研究生。1984年より宮崎県庁で公衆衛生行政に携わった後、1990年に宮崎大学に赴任。現在は宮崎大学農学部教授、同大学産業動物防疫リサーチセンターセンター長などを務める。WHOアドバイザーとしてカンピロバクター防除のための専門家会議に参画した経歴なども有する。


  • カンピロバクター食中毒は身近な食品である鶏肉等を原因として起こります。このカンピロバクター食中毒は死亡には至らないまでも、難病のギラン・バレー症候群(以下GBS)の原因の一つとされています。GBSを発症すると手足の麻痺等によりこれまで当たり前にできていたことが出来なくなり、生活の質が著しく低下します。この意味において、カンピロバクター食中毒の防除は公衆衛生上の喫緊の課題です。実際、統計データ(※1)においても、カンピロバクターの食中毒発生件数は第1位であり、その意味においても対策が急がれます。このことには、厚生労働省も危機感を強めており、カンピロバクター食中毒対策に本腰を入れようとしています。たとえば、2018年3月には「カンピロバクター食中毒事案に対する告発について」の課長通知(※2)が発出され、カンピロバクター食中毒を繰り返し、あるいは広域的に発生させた食品事業者に対しては処罰の可能性も示唆しています。その状況下にあっては、フードチェーン全体(農場、食鳥処理場、加工場、流通、飲食店)で衛生管理を徹底し、カンピロバクター食中毒を低減することが求められていると考えられます。衛生管理のポイントは、「生食用鶏肉と加熱用鶏肉の厳格な区分」、「(加熱用鶏肉の場合は)適切な加熱調理」、「鶏肉から他の食材への交差汚染の予防の徹底」など、フードチェーン上の至るところに存在します。
    今回は、30年にわたりカンピロバクター研究に携わり、国内外の第一線で活躍しておられる三澤尚明先生に、カンピロバクター食中毒対策の基本をうかがいました。

    ※1  厚生労働省 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食中毒部会(平成30年3月)配付資料病因物質別の食中毒発生状況より

    ※2カンピロバクター食中毒事案に対する告発について、厚生労働省医薬・生活衛生局食品監視安全課長、平成30年3月29日
    http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/0000200841.pdf

  • 対策の基本は「十分な加熱」と「二次汚染の予防」

    ――カンピロバクター食中毒の予防対策のポイントは何でしょう?

    重要となるのは、第一に「生食用」と「加熱用」とをきちんと区別することです。厚生労働省が把握している実態調査によると、「生食用」ではない鶏肉(つまり「加熱用」として流通している鶏肉)が、飲食店において生やたたきで提供されている、という状況があるようです。いくら生産者が「生食用」と「加熱用」の区別をして出荷しても、それが飲食店や販売者で区別されていなければ、カンピロバクター食中毒の予防にはつながりません。厚生労働省は今年3月、「加熱用鶏肉であることを認識していながら生やたたきで提供してカンピロバクター食中毒を発生させた事業者は告発する必要がある」という旨の通知を発行しました(※2)。 第二に交差汚染の予防です。一例として、日本でも海外でも、サラダを原因食品とするカンピロバクター食中毒が起きています。この汚染経路としては、鶏肉に付着したカンピロバクターが、調理の際に包丁やまな板を介してサラダに移行する、という状況が考えられます。こうした二次汚染(交差汚染)を防ぐには、調理器具の消毒・殺菌が重要な管理項目となります。

    ――2020年にはすべての食品事業者を対象にHACCPが制度化されます。食品事業者へのアドバイスや提言はありますか?

    HACCP制度化がカンピロバクター食中毒の減少につながることを期待したいところですが、そのためには「HACCPは人が動かす」という認識を持つことも非常に重要だと思います。例えば、包丁やまな板、手袋やエプロンからの二次汚染を防ぐには、一人ひとりが「なぜ包丁やまな板の洗浄・消毒が重要なのか?」「なぜ手袋やエプロンを交換するのか?」など、“一つひとつの作業の意味”について理解している必要があります。すべての従業員に「なぜHACCPが必要なのか?」「なぜHACCPに取り組んでいるのか?」という教育を行い、衛生意識の浸透を図ることが不可欠です。
    「衛生管理」や「HACCP」という言葉を聞くと、「どのような管理手法や管理システムを導入すればよいのか?」という点に目が向くかもしれませんが、その前に「従業員の衛生意識」に目を向けることも大切でしょう。

  • ――対策の基本がわかりました。ありがとうございます。 ところで、カンピロバクターは他の食中毒菌に比べて、食中毒の事件数が圧倒的に多いですが、カンピロバクター特有の対策の難しさはどこにあるでしょうか?

    カンピロバクターは、他の菌と比較して、いくつか特徴的な性質があります。例えば、微生物は、酸素が必要かどうかで「好気性」(酸素がある状況で増殖する菌)、「嫌気性」(酸素があると増殖できない菌)といった分類ができますが、カンピロバクターは「微好気性」(酸素濃度が3~15%程度の環境下であれば増殖できる菌)という性質があります。つまり、通常の大気(酸素濃度は20%程度)では生育できません。また、増殖可能な温度帯は30~46℃で、30℃以下では増殖しません。そういう意味では、一般衛生管理がしっかりとしている食品施設では、増殖する可能性は低いです。しかも熱に弱いので、加熱をしっかりとすれば食中毒のリスクはかなり低減できます。一方で、栄養状態が悪い環境、他の菌では生育できないような環境でも(増殖はできないにしても)なかなか死滅せずに生き残ることも知られています。
    また、この菌は大気中の酸素に曝露されると、“VBNC”(viable but non-culturable、生きているが培養できない)という、非常にやっかいな状態になる性質があります。微生物検査法では基本的に培養を伴いますが、「培養できない状態」になってしまっては、正確な菌数は測定できません。よく「カンピロバクターは少量で感染する」といわれていますが、実際のところ、培養では測定できない菌も存在するのですから、実際の感染菌量は(培養で測定された菌数よりも)多いのかもしれません。このVBNCという特性はカンピロバクターに特有の現象ではありませんが、カンピロバクターによる食中毒や感染症の研究を難しくしている要因の一つです。このVBNC状態になるメカニズムは現時点では解明されていません。「いったんVBNCになった菌を元の状態(培養可能な状態)に戻す方法があるのか?」「VBNC状態の時は、ヒトに対する感染性はあるのか?」なども不明です。


  • 米国における食肉・食鳥肉HACCP規則の考え方

    ――このような難しさがある中で、海外ではカンピロバクターのコントロールはどのようにしているのですか?

     1999年に米国農務省(USDA)は食肉・食鳥肉を対象としたHACCP規則として“Pathogen Reduction/HACCP”(PR/HACCP、病原菌削減/HACCP)(※3)を規定しました。これは鶏のカンピロバクター、肉牛の腸管出血性大腸菌O157などのハザードについて「コントロールの目標値」を設定し、いくつかの衛生管理を組み合わせて、その目標値に近づけるという考え方です。食鳥処理場でいえば「この処理をすれば、カンピロバクターがゼロになる」という管理手段は、現時点では存在しません。ですから、例えば「菌数を10分の1、100分の1に減らす」といった目標を設定して、各工程で衛生管理を徹底することで、最終的に出荷する際のカンピロバクターを低減させる(増殖させない)、ということを考えます。

    ※3 米国農務省(USDA)、Pathogen Reduction/HACCP(PR/HACCP)規則
    https://www.fsis.usda.gov/wps/portal/fsis/topics/regulatory-compliance/haccp/pr-and-haccp-guidance-documents/pathogen-reduction-haccp-guidance

    ――非常に合理的な考え方ですね。日本のHACCP制度化でも参考になるのではないでしょうか?

     ただし、この考え方を運用するには、「どのような管理方法が、どのくらい有効なのか?」「どの工程がカンピロバクター対策において重要なのか?」を示すデータが不可欠です。例えば「チラー水(食鳥処理場における、鶏肉用の冷却水)でどのように処理したら、菌数はどのような変動を示すか?」「どのような除菌剤を採用すれば、菌数はどれくらい減るのか?」といったデータがなければ、「HACCPに取り組む効果は本当にあるのか?」ということが見えてきません。
     米国の場合、「どのような衛生管理に取り組んだら、病原微生物がどのような挙動を示すか?」を調査した、膨大なデータが蓄積されています(これを「ベースラインデータ」と呼びます)。このデータがあるので、PR/HACCP規則を施行した効果も明確にわかっています。
     しかしながら、現時点で日本にはベースラインデータの蓄積がありません。これからデータを蓄積する必要があります。米国のデータをそのまま日本に転用することはできません(例えば日本と米国では気候や風土などがまったく違うためです。)。日本国内でも、地域によってまったく異なるベースラインデータになるかもしれません。こうしたベースラインデータの構築・集積は、日本におけるHACCP制度化に際して、最も欠けている要素の一つではないでしょうか。


今後の課題は「汚染実態の把握」と「管理手段の開発」

  • ――カンピロバクター食中毒を日本で予防するために今後の課題はどのようなことがありますか?

     本来、HACCPでは、日常的な検査、モニタリングのための検査などは、事業者自身が自主的に実施するのが基本です。しかし、カンピロバクターの検査は、時間やコストがかかります。培養の際には、微好気の環境を維持しなければならないので、手間もかかります。事業者が自主検査に努める姿勢は大切ですが、行政によるサポート体制の構築も必要かもしれません。
    先ほど述べたように、今後の課題として、フードチェーンの各段階(農場、食鳥処理場、流通、飲食店など)での汚染実態の調査が必要です。継続的なモニタリングにより、ベースラインデータを蓄積することが求められます。しかし、そのためには検査法を確立しなければなりません。NIHSJ法やISO法、食品衛生検査指針に記載された検査法など、さまざまな検査法がありますが、同じ検査方法で集めたデータでなければ、データ間の比較は行えません。検査法の確立、自主検査のための簡便・迅速な検査法の開発も、今後に向けた課題といえるでしょう。

    ――農場や食鳥処理場で利用できる、効果的なカンピロバクターの低減手段の開発も求められます。

     先ほど紹介したバクテリオシンやファージ、ワクチンなどは、今後の研究成果に期待したいところです。それ以外にも、例えば厚生労働科学研究では過酢酸製剤の効果を検証する研究が行われました。ただし、過酢酸製剤は(カンピロバクターに対する)効果は確認されていますが、温度や濃度などに注意を払わなければ、刺激臭や発がん性物質の発生などの問題も指摘されています。あるいは、カンピロバクターは乾燥に弱いので、EUではエアチラー(冷風を吹きかける管理法)を採用している施設もあります。しかし、エアチラーの効果を確実なものにするには、ある程度のラインの長さが必要になることから「インフラ面でコストがかかる」などの課題も指摘されているようです。
        我々のグループでも、国内外の様々な組織と協力しながら技術開発に取り組んでいます。例えば、超音波を用いた処理方法の実用化などに取り組んでいます。EUでは「食肉の除菌にはできるだけ薬剤を使いたくない」という意向があるので、この技術が実用化できれば、今後の可能性に大きな期待が持たれます。
        カンピロバクターはこれまで長きにわたって食中毒を減らせていない、非常に厄介な菌です。もしかしたら、我々のような研究者には、これまでの既成概念を取り払った、これまでとまったく異なるアプローチでイノベーティブな技術開発が求められているのかもしれません。

    ――ありがとうございました。

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